ブラッド・メルドー ソロ 2019年6月3日

ブラッド・メルドー ソロ 
2019年6月3日
よみうり大手町ホール


言葉はいらない。音楽だけ。


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Untitled (B. Mehldau)
Untitled (B. Mehldau)
Untitled (B. Mehldau)
Waltz for J.B. (B. Mehldau)
Blackbird (J. Lennon/P. McCartney)
And I love her (J. Lennon/P. McCartney)
I fall in love too easily (J. Kern)
Get happy (H. Arlin)
Linus and Lucy (V. Guaraldi)
Mother nature son (J. Lennon/P. McCartney)
(主催者Facebookより)

定員500人、シューボックス型の小ホール。
低い舞台の中央、照明の下にスタインウェイが一台。

録音用のマイクもない。
本当にピアノだけ。

ピアノの前には、数日前から低い低いとTLをざわつかせている例の椅子。
こだわりの椅子のはずなのに、どこか締めが甘いのか、弾き手が姿勢を変える度に意外と軋み音を立てることに、演奏が始まってから気がついた。
左側に荷物置きの椅子があって、MC用のマイクが載せられていたけど、彼がそれを手に取ることは結局なかった。

そういえば、この夜のBMはひとことも喋らなかった。終わりの挨拶すらなし。
いや、でも、いらないでしょ。
彼は全てを出し尽くし、伝えてくれた。これ以上何も要るわけがない。
そんな夜だった。

開演時間より5分ほど遅れてスタート。
落ち着いた足取りで出てきて一礼し、座ったと思ったら一呼吸の間すらとらずに、鍵盤に手を載せて弾き始める。
動画では見たことのある場面だけど、いざ目の前にすると、この迷いのなさが、まずすごい。

冒頭は穏やか。
優しく濁りのない上昇を繰り返す和音のアルペジオ。教会のチャイムのように柔らかく響く音が、「After Bach」のラスト曲を思い出させる。
でもこれは、ラストじゃなく始まり。
当然そのまま進むわけはなく、音楽は調を変え形を変え、深度やリズムも変化していく。
ひとりでどんどん深いところに入っていく集中力が、目の前で見てても凄まじい。なのに、音楽は穏やかに導くようで、聴き手を置き去りにはしない。
一曲目からなんの境地なの、ここは。

二曲目
Dm から始まってDに転調したのは覚えている。
そのあと何かがどうにかなって、ラストはC調ノリノリのブギ。音量とドライブ感がものすごい。音と空間と聴衆全部を鷲掴みにして、パワー全開でぐいぐい引っ張っていく。なんなの男前すぎる!イケメン!
客席はここで既に大喜び。拍手とピューピュー口笛が飛び交っていた。

三曲目
出だしはEっぽいキンと澄んだところからフラット調へ転調。右手で高音の小さなモチーフをひたすら繰り返していたのはこの曲だったっけ。これは「通奏高音」って言えばいいの?なんて思ってクスリときた。そうしながら左手の次の動きを誘い、今度はそっちを掬い上げて波に乗せ、大きく動かしていく。
本当に今ここで全てを創ってるんだ…というのを肌で感じる。ゾクゾクした。

ここまで三曲はタイトルのない自作曲。どこまでが予め用意したもので、どこからが筋書きのない即興なんだろう。
弾きながら探っている、と感じる瞬間がいくつもあった。左手でひとつの形を、次は右手で別の形を。交互に目の前にあるものを紐解き手繰り寄せながら、一瞬ごとに二度と起こりえない響きを見出し、見出したそばから露にしてみせながら突き進んでいく。
口先で断片だけ並べるなら、いろんなものが入っている。ジャズ、クラシック、ブルースロック、オルタナ、現代曲にエレクトロ。描線と色彩、質感、調性、音量、リズム、和声と残響。でもそれがバラバラになることはない。彼が思考し、彼の手が統べることでひとつの音楽として生きたものになる。
全てを貫いて彼がいる。「自在」であることを体現して。その佇まいも、紡ぎ出される音も、ただただ力強く、美しい。

曲が終わる度に立ち上がって、お辞儀。口許が少し強張ったような無表情のまま。いや、愛想笑いできるような状況では、ないよね。
むしろ、1曲ごとに現実に帰ってきてくれるのが驚きに感じるくらい、この人は突き抜けた場所にいる。そんなことを思った。

このあとは、タイトルのついた曲で、歌心で聴かせるラインナップ。

Waltz for J.B. (B. Mehldau)
大好きな曲。わぁ嬉しい…とひたすらうっとりしていた。

Blackbird (J. Lennon/P. McCartney)
大好きな曲その2。Gメジャー。
これは、BM にとっての「GGのゴルトベルクのアリア(こちらもやはりGメジャー)」みたいな曲だ、と勝手に思っている。
若く身震いするような光をまとったトリオのバージョン、年を重ねて艶やかに熟したバージョン。吐息のように穏やかなバージョン。今回は、そっと触れて語りかけるような優しさがあった。愛らしいテーマのなかに、彼の今の「らしさ」がいつもある。

And I love her (J. Lennon/P. McCartney)
続けてビートルズ。C#からDに転調。
元曲はぼんやりしてあまり好きじゃなかったんだけど、BMのバージョンは深く美しい。

ここからアンコール。

I fall in love too easily (J. Kern)
お、知ってるぞこれ、と思ったけど思い出せなかったやつ。

Get happy (H. Arlin)
いいねいいね!!いいよね!!

Linus and Lucy (V. Guaraldi)
スヌーピーの曲があった!という呟きをTLで見て、まじで?と思ったけど、本当だった。
スヌーピー好きなのかな。昔、「Lament for Linus」って曲書いてたよね。

Mother nature’s son (J. Lennon/P. McCartney)
三度めのビートルズ。そしてこれが、すっごくよかった。
元曲の瑞々しさも残しながら、立体的で力強く、時折ギラッと輝く野性味もある音。
流れの速い渓流のような、清く鮮やかな疾走感。意識が洗われる。

この曲が終わって、客席は総立ちのスタンディングオベーション。
五度目の登場は、ピアノには触れずお辞儀だけ。ようやく少し表情が緩んだようにも見えた。

今回は、前半の集中力がとにかく凄かった。「あったまるまでしばらく待って」みたいなところが全くない。2003年のときには、この境地に入るのにかなり時間をかけていたようなところがあったのに。
あれから16年。彼はずっと、すごいときは週6回とかいうトンデモなスケジュールを組んで、千を優に超えるだろうステージを経てきたわけで。そんな中でどれだけ自分を鍛えて、コントロールする術を身につけたんだろう。そう思うと、圧倒されるような敬意と、私だって同じだけの時間を生き抜いてきたんだという共感が湧いてくる。

聴きながら、ふと、バッハにBMのピアノを聴かせてみたいなと思った。やはり鍵盤と即興の名手だったという偉大な人が、この演奏を聴いたら何て言うだろう、と。
まずはとりあえず、ピアノという楽器がここまで美しく逞しく進化したことに驚くだろう。こんな音が出せて、こんな弾き方が可能になったのか!と。そして、それを駆使してあらゆる音を聴かせてくれる弾き手がいることにも、輪をかけて存分に驚いてくれるといい。
彼は、あの頃にはなかった新しい美の形を創り出すことができる。それでいて、かつての偉人が残したものへの敬意も、高い理想を受け継ぐ、知性や精神の強靭さも持ちあわせている。
きっと衝撃だろうし、強烈な歓びでもあるだろう。

そんな、時間を超えた「何か」に連なる驚きや歓びを、私たちが今、眼前で聴けている。
その幸運を改めて噛み締めた。

あとは、余談。個人的趣味の衣装メモ。
ブルーグレーのベルベット地、金色のボタンがついたノーカラージャケット。この服、他の動画でも見たことがある。インにはベストらしきものを重ねて、白のシャツ。土曜の無防備さとは真逆の、がっつり重ね着感。ジャケットはラストまでずっと着ていた。空調がけっこう寒かったからね。客席もひんやりしていたし、手が冷えないといいなと心配になるくらいだった。
パンツはダークグレーのアンクル丈。靴は土曜と同じかな?ブラウンのサイドゴアブーツ。

余談その2。
彼のライブに行く度に、これが最後になりませんようにと願っている。
地方から泊まりがけで飛行機で出かけるのはなかなか大変で、次も必ずと思っていても、平日ど真ん中に来られると、仕事を休めずに諦めざるを得ないときもある。
本当は、札幌にもう一度来てほしい。今度こそ、札幌コンサートホールkitara へ。
東京で彼が繰り返し訪れているサントリーホールも、昨年ホールのピアノを選んだと楽しげに報告してくれた、ハンブルクのエルプ・フィルハーモニーも、豊田泰久さんという方が音響設計を手がけておられる。実は kitaraも、同じ方の手になる。ってことは、お気に召す確率が、かなり高いのでは?
いつかぜひkitaraへ。あのホールで弾くところを見られたら…本望です。

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