Brad Mehldau「After Bach」

「Brad Mehldau 「After Bach」聴き終えた。なんて綺麗な時間なの。「Benediction 祝祷」から「Prayer for Healing 癒しの祈り」まで。謙虚で清廉で自由で豊かで深い。特定の神の名を頂くことのない、戒めに縛られることもない、ひたすら純粋な礼拝に招かれるような音楽。傑作。」

…というのが、一度聴いたときのツイート。一度目の圧倒されるような感動が落ち着いて、ようやくリピートできるようになった。キリスト教者ではないけど、昔からなぜかバッハが好きで、教会のオルガンも好きで、1999年からずっとメルドー・ファン。「好き×好き」の組合せに感謝しかない者が、全力でこの作品を慶びます。

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平均律とは、1オクターヴを音の高さで等間隔で12音に分割したもの。ピアノでいう「半音階」がそれにあたる。
J.S.バッハの「平均律クラヴィーア曲集」は、12音すべての長調・短調に対し、それぞれ「プレリュード」「フーガ」の2曲1組が与えられたもの。
それが「第1巻」「第2巻」と2冊ある。

「After Bach」は、その「平均律」から数曲のプレリュードを選んで演奏した後、メルドーのオリジナルの即興演奏が続くという構成。
一部変則的なものもあるけれど、基本は「バッハ+オリジナル」の2曲で1組になっている。5組の曲を、礼拝の前奏・後奏のようなイントロとアウトロ(オリジナル)で挟んだ全12曲。
バッハのパートは平均律からどの曲を選ぶのかな?どんな風に弾くのかな?という楽しみがあり、オリジナル部分はここから着想した即興演奏を聴く高揚と快さがある。

このアルバムの前身となる、「3 pieces after Bach」のライブを、web配信で披露したのは2016年5月。このときには、アルバムには入っていない第一巻・Dマイナーのプレリュードを弾いていた。ダークな曲調にベースラインのD音をひたすら打ち続けるスタイルが似合っていた。

配信の少し前、彼がバッハを語る言葉の抜粋がタイムラインに流れてきたのも覚えている。

"He's sitting on the mountaintop, all alone, smiling," 
彼は山頂に座ってる、たった一人、微笑んで。

「山頂にただ一人」は、まだわかる。他の人でも言いそうな表現だ。でも「smiling」って。
バッハといえば普通はあの、超真顔の肖像画だ。あの厳格そうな絵から笑顔が思い浮かぶなんて、どれだけ素直に柔らかな心でバッハと向き合っているんだろう。それだけで軽く感動してしまった。
メルドー自身もそういえば、ジャケ写やプロフィールは大体真顔。堅い人に見られそうだけど、笑ったときの顔は、穏やかで優しい。

真面目で地味目が共通点な二人は、過去と現在の鍵盤の名手でもある。彼らが時間を越えて邂逅した、その喜びを聴くのがこの作品だ、と思う。

以下、1曲ずつレビュー。

1. BM. Benediction 祝祷、感謝の祈り。教会のオルガンで弾けばまさにそうなる(鳴る)だろう、金属的な高音から低音までの懐深い音域。トッカータのような速弾き。イントロの、わずか1フレーズの間に#と♭が幾つも融け合う調性の横断。ここは時間を超えた時間だよと、扉を開いて聴き手を導き入れる。

2. バッハ. 第一巻からC#のプレリュード。一ヶ所軽くルバートが入る以外は、嬉しくなっちゃうくらいクリーンで端整で正確。この人がバッハを弾いたら良いに違いない、聴いてみたいと何度思ったことか。願望がまさかの現実に、しかもやはりの美しさ。嬉しい。

3. BM. Rondo 輪舞曲。上って降りるモチーフに「John boy」を思い出す。でも、あれはあれ、これはこれ。アルペジオを軽く躓かせながら、Take five の国から来ましたので、と大バッハに御挨拶するような5連符の連続。巧みな不協和音、抑揚と跳躍と歌う低音も織り交ぜて。

4. バッハ. Cのプレリュードは、有名すぎる第一巻ではなく第二巻から。各声部のバランスがとてもよい。音楽への敬意、清洌な謙虚さがそのまま鳴っているよう。胸が透くような清潔感。

5. BM. Pastrale パストラーレ。くねくね道を歩くような導入部、のんびりまったり牧歌的なパストラーレを想像してると「あれ?」ってなる。昼寝してたら迷子になるよ。短い曲だけど、後半は曲調が変わって、ガラリと内省的。何気にスパイシーな小品。

6. バッハ. 第一巻からEマイナーのプレリュード。彼が弾くE調は良い。「10 years solo」で、「E minor / E major」だけで一枚組むくらいだから、思い入れがあるんだろう。涼やかな16音符の刻みに挟むような和音の置き方が美しい。とっても丁寧。

7. BM. Flux 流動。気品と孤高のEマイナー、に耽溺することはなく、むしろ自由で今風。翻すように混ざるメジャー調、振り返らない押せ押せ感。カッコイイ。等分に刻み続ける一定のアルペジオが元曲へのリスペクトであり、止まらない推進力であり、奔放さの中でも軸を失わない拠り所でもある。

8. バッハ. Fmのプレリュード。第一巻のプレリュードで個人的に偏好してるのが、B♭mか、このFm。どちらも♭調で緩やかで瞑想的。Fmは自分でも弾いたことがある。この人の演奏で聴けるとは…しかもここだけフーガもセットというお得感。フーガは主題をしっかり聴いておくと次が楽しいよ。

9. BM. Dream 夢。フーガの主題が随所に現れる。彼の曲には題名に「Dream」を冠したものが多い。夢の中でも美しい音楽が聴こえる人なんだろうか。深く迷宮に降りて行くような瞑想感。

10. バッハ. 第二巻のGm、プレリュードは省略してフーガのみ。3拍子だけど、実は最初のD音は2拍め。拍がとりにくい。苦もなく取れる人はそれだけでエライと思う。

11. BM. Ostinato 反復。連打のモチーフを敷き詰めるのは得意のパターン。たとえば前述のDマイナーのプレリュード、あるいは「Live in Marciac」の「Resignation」なんかは執拗で息詰まるようだったけど、これは深く仄暗く優しい。水の音色。

12.BM. 「Prayer for healing 癒しへの祈り」。左右の手がゆっくりと、同じリズムで和音を連ね続ける。まるで礼拝の後奏のよう。ある意味らしくない、単調さにも近い穏やかさの後、終盤にひとときシンクロが解け、揺らぎが生まれる。その瞬間の美しさ。包まれて恍惚とした、そのままに、終。嗚呼。

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